最終更新日 2024/06/30

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 第三章 大國主神

故大國主神 坐出雲之御大之御前時 自波穗 乘天之羅摩船而 內剥鵝皮剥爲衣服 有歸來神
爾雖問其名不答 且雖問所從之諸神 皆白不知 爾多邇具久白言自多下四字以音
此者久延毘古必知之 卽召久延毘古問時 答白 此者神產巢日神之御子 少名毘古那神
自毘下三字以音 故爾白上於神產巢日御祖命者 答告 此者實我子也 於子之中
自我手俣久岐斯子也 自久下三字以音 故與汝葦原色許男命 爲兄弟而 作堅其國

故自爾 大穴牟遲與少名毘古那 二柱神相並 作堅此國 然後者 其少名毘古那神者 度于常世國也
故顯白其少名毘古那神 所謂久延毘古者 於今者山田之曾富騰者也 此神者 足雖不行
盡知天下之事神也

於是大國主神 愁而告 吾獨何能得作此國 孰神與吾能相作此國耶 是時有光海依來之神其神言
能治我前者 吾能共與相作成 若不然者 國難成 爾大國主神曰 然者治奉之狀奈何 答言
吾者 伊都岐奉于倭之青垣東山上 此者 坐御諸山上神也
解読

故、大國主神、出雲之御大之御前に坐す

波自(より)穂の時、、天之羅摩船而(に)乘る。

鵝(ガチョウ)の皮を剥がし、內(うち)を剥がし、衣服と爲(なり)

歸(かえ)って來る神有り

爾(なんじ)、其の名不答(こた)えずと雖(いえど)も問う

且つ、從う之(この)諸神と雖(いえど)も問う

皆、不知(しら)ずと白(もう)す

爾(なんじ)、多邇具久(自多下四字以音)と言うと白(もう)す

此の者、久延毘古之(これ)必ず知る

卽ち、久延毘古を召して問う時、答えて白(もう)す

此者(は:短語)、神產巢日神之御子、少名毘古那神(自毘下三字以音)

故爾(ゆえに)、神產巢日御祖命者(は:短語) 上に白すに於いて、答えて告げる

此者(は:短語)は實は我子也

子之中に於いて、我自(より)手の俣から久岐斯子(自久下三字以音)也

故、汝葦原色許男命と與(とも)に、兄弟の爲而(に)、其國堅く作る

故爾(ゆえに)自(より)、大穴牟遲と與(ともに)少名毘古那の二柱神相並び、此の國を堅く作る

然し後に者(は:短語)、 其少名毘古那神者(は:短語)常世國于(に)度す也

故、其の少名毘古那神顯(あきら)かに白(もう)す

所謂(いわゆる)久延毘古者(は:短語)今に於いて者(は:短語)山田之曾富騰者也

此の神者(は:短語)足で不行(ゆけず)と雖(いえど)も、
天下之事を神に知らせることを盡(つ)くす也

是於(これを)大國主神愁(うれ)い、而(すなわち)告げる

吾は獨(ひとり)で、此の國を作り、何を能(よ)く得る

吾と與(ともに)孰(いずれ)神、此國を相に能(よ)く作る耶(や)

是の時、海に光有り、來之神の其神に依って言う

我の治める前の能(よ)く者(は:短語)、 吾と共に能(よ)く、相に與(ともに)作って成す

若(も)し不然(しからず)者(は:短語) 國と難(いえど)も成る

爾(なんじ)大國主神曰(いわ)く

然し治める者(は:短語)、之(この)奉る狀(じょう)奈何(いかん) 答えて言う

吾者(は:短語) 、伊都岐を奉る倭之青垣東山の上に于(ゆ)く

此れ者(は:短語) 御諸山の上に坐す神也

解説

02

少名毘古那神


少名毘古那神

原文:

故卽召久延毘古問時 答白 此者神產巢日神之御子 少名毘古那神
自毘下三字以音 故爾白上於神產巢日御祖命者 答告 此者實我子也 於子之中
自我手俣久岐斯子也 自久下三字以音 故與汝葦原色許男命 爲兄弟而 作堅其國

解読:

卽ち、久延毘古を召して問う時、答えて白す

此者(は:短語)、神產巢日神之御子、少名毘古那神(自毘下三字以音)

故爾(ゆえに)、神產巢日御祖命者(は:短語) 上に白すに於いて、答えて告げる

此者(は:短語)は實は我子也

子之中に於いて、我自(より)手の俣から久岐斯子(自久下三字以音)也

故、汝葦原色許男命と與(とも)に、兄弟の爲而(に)、其國堅く作る

神產巢日御祖命

「實は我子」の前に、「神產巢日御祖命」の名が登場します。

「少名毘古那神」が、「神產巢日神」の子ではなく、
「神產巢日御祖命」の子だと解釈できるわけですが、本当にそうなんでしょうか?

古事記において、カットされている箇所が多くあり、記事の信用が下がります。

この場面でも、「此の少名毘古那神者(は:短語)、實は我子」とあれば、疑問視しません。

また、他の問題として、「神產巢日神」は「神產巢日御祖命」の実子か?というのもあります。

「神產巢日御祖命」が「親」の立場でも、
再婚により、「神產巢日神」の親になったかも知れません。

この推測が正しいと仮定すると、
「神產巢日神」と「少名毘古那神」は兄弟であり、養子に入り義父になったと解釈できます。

この問題は、情報が少ないので、判断がすごく難しいです。

読み

「少名毘古那神」の後ろに「自毘下三字以音」と注記があるので、
「毘古那」が「音読み」指定となります。

「毘」:呉音:ビ、漢音:ヒ

「古」:呉音:ク、漢音:コ

「那」:呉音:ナ、漢音:ダ(表外)、宋音:ノ(表外)久岐斯子

上記により、呉音「びくな」、漢音「ひこだ」となりそうです。

久岐斯子

「自久下三字以音」と注記がありますので、「久岐斯」が「音読み」指定となります。

「久」:呉音::ク、漢音:キュウ(キウ)

「岐」:呉音:ギ(表外)、漢音:キ

「斯」:呉音・漢音: シ、宋音 : ス

上記により、呉音「くぎし」、漢音「きゅうきし」になりまうです。

意味

「久岐斯」が、どんな意味があるのか?については、情報が見つかりませんでした。

ただ、「子之中に於いて、我自(より)手の俣から」の後なので、人物の評価だと思われます。

漢字で考えると、「俣」は「分かれている所」、
「岐」は「山のえだ道・分かれ道」で、「分かれる」という意味では同じです。

しかし、「俣」は「既に存在する場所がある」のに対し、
「岐」は「自分で切り開く」という意味があるように思えます。

そうなると、「久」は「時間が長い」・「ひさしい」、「斯」は「斧で切り分ける」、
まとめて考えると、「自分から新しい分野に飛び込み、新規開拓を時間をかけた」
という解釈ができます。

ただ、「少名毘古那神」の事を指しているのか判断できません。

神社と神名

少名毘古那神

健男霜凝日子神社 下宮(合祀)、田村神社 境内 素婆倶羅社 天満宮、大穴持美代神社、
津島神社 境内 久斯社、大神山神社

少名毘古那命

葦神社、金王八幡宮 境内 御嶽神社、多度大社 境内 藤波社

少名毘古名神

静志神社

少毘古那神

玉作湯神社、多居乃上神社(合祀)、都波岐神社・奈加等神社 境内 小川薬王子社(合祀)

少毘古那命

大野神社、春日神社(伊賀市、合祀)、猪田神社

少名日古那神

大神神社

少那毘古那命

大須伎神社

少那毘古名尊

出雲大神宮 境内 笑殿社

少那比古神

鸕宮神社(合祀)

少那彦名之命

高杜神社 中社

少名比古命

服織田神社(蔵王神社祭神合祀)

少名彦名神

胸形神社

少名彦名命

熊野神社、近戸神社、金櫻神社(山梨市牧丘町)、稲毛神社 境内 佐々木神社 御嶽神社、
穂高神社本宮 境内 四神社、中山神社 境内 天神宮、東屋沼神社

少名彦那神

國坂神社(特撰神名牒記載)

少名彦那命

苅田神社 境内 幸神社

少名彦神

大森神社、清水神社 境内 少彦名神社、豊栄稲荷神社 境内 薬祖社、広沢天神社、
阿須利神社 境内 社日神、大塩八幡宮 境内 寿翁神社。石船神社 境内社 石碑

少名彦命

瀬戸菅原神社、大伴神社(御嶽社祭神合祀)、鷲子山上神社、能登比咩神社(合祀)、
穴水大宮、石上神社、鹿島天足別神社(合祀)、阿志神社(合祀)、満宮神社、
賀茂神社(合祀)、熊野出速雄神社 境内 嘉佐八郎社、知立神社 境内 小山天神社

少名彦尊

酒列神社

少彦名太神

出雲路幸神社

少彦名大神

阿部野神社 境内 奥宮、穴澤天神社、磐座神社、笠間神社(合祀)

少彦名神

大神神社(合祀)、諏訪神社(湖西市)、飯野山神社、波波伎神社、大和神社 境外 歯定神社、
大田神社 境内 鎮守社、御穂神社 境内 磯前神社、金刀比羅宮 境内 睦魂神社、
小椋神社 境内 新宮神社、住吉神社 境内 久須志神社、金華山 黄金山神社 境内 金椿神社

少彦名命

大滝神社、臼谷八幡宮、糸岡神社(合祀)、須賀神社(合祀)、松尾神社(天神社祭神合祀)、
御嶽神社、中山神社、河内神社、新治神社、諏訪神社、大直禰子神社、三嶽神社、伊由神社、
粟狹神社、粟野神社、能登部神社、鎧神社、三宮神社、金櫻神社(山梨市歌田)、金劔宮

少彦名尊

塩野神社、三輪神社(境内の石碑)、大神社、小祝神社

服織田神社 静岡県牧之原市静波1292

神社紹介サイトを見ましたが、「少名比古命」と書いています。

ところが、「社頭掲示板」、「明治神社誌料」では「少彦名命」とあります。

「少名比古命」は、どこに書かれていた情報なのでしょう?

神社紹介サイトが書くということは、神社の中にある祭神名がそうなのでしょうか?

ちなみに、参照159のサイトには、色々な文献にある表記が載っていますが、
その中にも「少名比古命」はありませんでした。

参照159:少名毘古那神

能登生國玉比古神社 石川県鹿島郡中能登町金丸セ35

祭神は「多食倉長命」です。

「社前案内石碑」があり、参照160のサイトには、石碑の写真が掲載されています。

祭神多食倉長命は神代の昔、能登国に巡行された大己貴命・少彦名命と協力して
国土の平定に神功をたてたまい、能登の国魂の神と仰がれた。

その姫神市杵嶋姫命(又の名伊豆目比売命)は
少彦名命の妃となって菅根彦命を生み給うた。

これ金鋺翁菅根彦命で金丸村村主の遠祖である。神主梶井氏はその裔である。

次に、参照161のサイトには「神社明細帳」の内容が載っています。

當社、能登生國魂比古神社ハ當國國玉神ニシテ名ヲ多食倉命ト云ナリ、
昔大己貴命少彦名命國土ヲ巡行シタマフ時、當地二至リタマヒ

多食倉長命ト御心ヲ睦ヒ御力ヲ獄セラレ、
共二人民ノ害ヲナス怪異ヲ討罰シ給ヒテ國土ヲ経営シ人物ヲ愛護シ給フ、

此時少彦名神、
國玉神多食倉長命ノ女伊豆目比売ヲ嬰リテ金鏡翁菅根彦根ヲ産ミ給フ、

此神則チ金丸ノ村主ノ遽祖ナリ、

〜(中略)〜其後天平十九年十一月金丸ノ村主武重ノ男泰澄ノ弟子手ナリ、

出家シテ坊舎凡ソ三十六宇ヲ建設、當社ノ別當トナリ且當院ヲ以テ勅願所トナシ、
改メテ佛生山天平寺ト號シ寺領ノ寄附アリシト云フ、

参照160のサイトの石碑の内容を、参照161のサイトが補足しています。

ちなみに、「神社明細帳」の情報が多いので、関連がある場所を抽出しました。

これらによると、「少彦名命」は「市杵嶋姫命」を娶り、
「少彦名神」は、「多食倉長命ノ女伊豆目比売」を娶っています。

つまり、「少彦名神」は「神」の地位なので、「少彦名命」よりも前の時代の人物と思われます。

また、「市杵嶋姫命」は「姫」とあるのに対して、
「伊豆目比売」は「比売」となっているのも補足できます。

後世の人間にとって、「ひめ」の表記違いや「神」などの地位に付いての、
別だという認識や理解が無いのも、
「市杵嶋姫命(又の名伊豆目比売命)」と「又の名」となった影響だと思います。

参照160:能登生国玉比古神社

参照161:能登生国玉比古神社

万九千神社 島根県出雲市斐川町併川字神立5258

「櫛御気奴命、大穴牟遅命、少彦名命、八百萬神」を現在は祭神としていますが、
過去の書物によって、大きく異なっています。

参照162のサイトには、下記の3本の書物について記載があります。

大穴牟遅命 須佐男命一名熊野加武呂之命 少名毘古那命 『社家記録』
素盞嗚尊 葦原醜男命 少彦名命 『寛延年間の棟札』
あしはらのしこを命 『出雲神社巡拝記』

上記のように、現在の「少彦名命」ではなく、
「社家記録」という本には、「少名毘古那命」とあります。

「少名毘古那命」は「少名毘古那神」と比較して、地位が異なるだけなので、
「社家記録」という本が、いつの時代のかは不明なのですが、
古い時代の本であれば、「少名毘古那命」になっても不思議ではありません。

ただ、「社家記録」には他の重要情報も書かれていた可能性があるので、
確認できなかったのは残念です。

参照162:立虫神社 万九千神社

東屋沼神社 福島県福島市飯坂町平野字明神脇1

「少名彦名命」を祭神としていますが、参照163のサイトによると、
「境内案内板」と「福島県神社名鑑」に記載されている表記が異なっています。

境内案内板

本社の創建年代は明らかではないが、延喜式名 神大社にして、
一千年以上の古い歴史のある神 社で、
少名彦那命、大己貴命(大国主命)、 素盞嗚命、日本武尊、の四柱を祀る。

福島県神社名鑑

福島市平野にある東屋沼神社は、
素盛鳴命・大己貴命・少名子彦那命・日本武尊を祀る。

この他のサイトでは、「全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年」には、
「少名彦名命、大己貴命(大国主命)、素盞鳴命、日本武尊」を祭神として記載しています。

これらのように、他三名の祭神名は、微妙に異なる箇所もありますが、問題はありません。

しかし、「少名彦名命」の表記に関しては違います。

「境内案内板」は「少名彦那命」、「福島県神社名鑑」は「少名子彦那命」とあり、
表記が異なる以上、別人だと思われます。

ちなみに「少名彦那命」の表記は「苅田神社 境内 幸神社」で祭神となっています。

参照163:東屋沼神社

まとめ

今回の調査で見つけた祭神名の表記は、計23になりました。

「少名毘古那神」が基本形となりますので、この表記以外の多くは子孫と考えられます。

また、「能登生國玉比古神社」の過去の情報により、
「少彦名命」は「市杵嶋姫命」を娶り、
「少彦名神」は、「多食倉長命ノ女伊豆目比売」を娶った事が分かりました。

これは、重要な情報で、「多食倉長命」の情報が今後、時代が分かる情報が出た場合、
それを結びつけると、「少彦名神」が存在した時代も分かってきます。

その時に、改めて「少彦名神」に関して考察したいと思います。

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