最終更新日 2021/12/31

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日本國とは

解釈

07

契丹古伝

他に、契丹古伝と言われる資料があるが、記紀に似ている箇所が少しある程度で、
それを持って、倭國や日本國を指すと断定するには、無理があるように思えます。

なぜなら、列島に移住した人達の考え方は、元はユーラシア大陸であり、
移住したとはいえ、大陸に留まり、勢力を維持して来た人達もいるはずです。

その場合、契丹古伝のような文献の内容が、列島移住組ではなく、
大陸残留組の事を書いている可能性もあるのです。

それに、契丹はWikiによれば、

4世紀から14世紀にかけて、
満州から中央アジアの地域に存在した半農半牧の民族

Wiki

とあり、西暦4世紀であれば、倭國や日本國の名が登場してもおかしくは無いでしょう。

参照8:契丹古伝(東族古伝)本文(全文)と解説

まとめ

旧唐書・新唐書・宋史の日本に関連する記事を抜粋して、比較検証しましたが、
「日本」を建国した人の名や建国時期など重要情報は得られませんでした。

「日本」の名の由来に関しても、「日の辺り」や「日の出る所」とありますが、
「日本」という名に繋がるようには思えません。

特に「自以其國近日所出、故以日本爲名」という「日の出る所」説は、
世界中、全ての土地が「日の出る所」になる為、由来を語る話として不適切です。

「日の出る所」=東なので、仮に古代中国から見れば、東は朝鮮半島も入りますし、
列島だとしても、北海道かも知れません。

この様に、どこにある國なのか特定出来ません。

あと、「日本」の王は「其王姓阿毎氏」とあり、
「倭王」とも同じですし、「天(あま)一族」も「阿麻(あま)」を使っているので、
元々同じ一族だったか近い存在だと思われます。

でも、「阿毎」=「阿麻」とは考えづらいので、
南朝鮮では「阿毎」が、列島では「阿麻」が、
勢力拡大しつつ、存続していたのではないかと考えるに至りました。

ただ、「天之御中主神の子孫」の「「新唐書日本伝」と「宋史」」にある
「宋史」の「自後漢始朝貢」と「初主」が、

日本國の初の主は、後漢自(より)朝貢を始めた

と解釈出来れば、「日本國」は「後漢時代」の「西暦25年〜220年」に
國として成立したと言えそうです。

そして、「後漢時代」の列島は、検証していませんが、
「垂仁天皇」〜「神功皇后」の時代と云われています。

これにより、「宋史」の「日本國」=「列島」とは言えないと思われます。

古事記には、「天(あま)一族」「分家」の「天皇家」の事しか記載がありませんが、
本家の「その後」の記載がありません。

しかし、「本家(天(あま)一族)」と「分家(天皇家)」は連携していると思うので、
「神」などの地位は過去のものになっていた可能性が高そうです。

ところが、「天(あま)一族」と関係がある「南朝鮮(南岸諸島群)」では、
「尊」を守り続けていたと思われます。

詳細は、日本書紀編で考察したと思います。

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