最終更新日 2021/12/31

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日本國とは

解釈

06

宋史

「宋史」の日本國の記事を抜粋して見て行きます。

倭國者、本倭奴國也。自以其國近日所出、故以日本爲名。
或云、惡其舊名改之也。

宋史

新唐書で「日本古倭奴也。」とあり、
今回、「倭國者、本倭奴國也」を書いているのを合わせて考えると、

元々、倭奴國として活動していたが、
対立などがあり、途中で倭國と領土を分けた。

その後、倭奴國は存亡の危機 になり、
日本と名を変える事で生き延びた。

と、想像しましたが、
新唐書では「日本」も「倭奴」も「國」が付いていないのが気になります。

もしかすると、狭くても「日本」と呼ばれる地域や
「倭奴」と呼ばれる地域があったのだろうか?

初主號天御中主、次曰天村雲尊、其後皆以尊爲號、次天八重雲尊、次天彌聞尊、
次天忍勝尊、次贍波尊、次萬魂尊、次利利魂尊、次國狭槌尊、次角龔魂尊、
次汲津丹尊、次面垂見尊、次國常立尊、次天鑑尊、次天萬尊、次沫名杵尊、
次伊弉諾尊、次素戔烏尊、次天照大神尊、次正哉吾勝速日天押穂耳尊、次天彦尊、
次炎尊、次彦瀲尊、凡二十三世、並都於筑紫日向宮。

宋史

この記事で面白いのは、「天御中主」の後に「天村雲尊」が来たり、
記紀で初期に登場する「國常立尊」が13番目だったり、記紀とは大きく異なっています。

一つずつ見て行きます。

天御中主

「尊」がないのは、「神」だからで、
「尊」の地位に居たことが無いからと推測出来ます。

天村雲尊

記紀には登場しないが、豪族等の先祖として登場し、
先代旧事本紀:天香語山命の子として登場します。

天八重雲尊

どこにも登場しません。

天彌聞尊

同上

天忍勝尊

同上

贍波尊

瞻波国(せんぱこく)という國があり、「前600年ころ北インドに栄えた」ようですが、
天之御中主神が居た時代を「紀元前1000年頃」と考えると、現時点で関係は不明です。

萬魂尊

先代旧事本紀において、
「天八十万魂尊」と「萬魂尊」が登場するが関係は不明です。

利利魂尊

どこにも登場しません。

國狭槌尊

日本書紀の神代上で「國常立尊」に次いで登場します。
古事記にも「国之狭土神」が登場するが、関係は不明です。

角龔魂尊

どこにも登場しません。

汲津丹尊

同上

面垂見尊

古事記で「淤母陀琉神」、日本書紀で「面足尊」とあるが関係は不明です。

國常立尊

古事記では「國之常立神」、日本書紀では「國常立尊」なんですが、
古事記では「神」、日本書紀では「尊」と階級が異なっていますので、
個人的には、「國之常立神」の数代後の子孫ではないかと考えています。

天鑑尊

日本書紀では「天鏡尊」と音が同じ名があるが、関係は不明です。

もし、同一人物の場合、日本書紀の記載で、親は「國常立尊」になります。

天萬尊

ホツマツタヱでは

アメカガミの子、ウヒチニの養子となり、ソアサ (四国) を治める。
アワナギとサクナギを生む。

ホツマツタヱ

とあるようです。

他に、日本書紀に「天鏡尊生天萬尊」とあるが、現時点で関係は不明です。

沫名杵尊

読みが「あわなき」となる場合、日本書紀に「沫蕩、此云阿和那伎」とあり、
音は一致しますが、漢字が一致しないので、現時点で関係は不明です。

伊弉諾尊

古事記の「いざなぎ」と同一と考える人が多いですが、
個人的には、その様に断定するには証拠の資料が乏しいと考えています。

日本書紀の時代の「伊弉諾尊」と同一人物なのか、
子孫なのかについては、現時点では判断出来ません。

素戔烏尊

伊弉諾尊同様で、「すさのお」が、
主に「建速スサノオ」、「速スサノオ」、「スサノオ」の三種の名を使用する中、
多くの表記で「素戔嗚尊」とするのは違和感があります。

それと、「素戔嗚尊」の表記が「素戔烏尊」と変わるので、
同一人物の判断は難しいです。

日本書紀編で考察します。

天照大神尊

「天照大神命」と同義なので、これは明らかに不自然です。

「大神+命」は記紀でも記載が無く、
別資料があったとすれば、別人を考えたほうが良いかも知れません。

正哉吾勝速日天押穂耳尊

古事記「天忍穂耳命」、日本書紀「天忍穗耳尊」と記紀で漢字が一致していますが、
「天押穂耳尊」と「オシ」の漢字が異なっています。

天彦尊

どこにも登場しません。

炎尊

どこにも登場しません。

彦瀲尊

古事記「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」、
日本書紀「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊」と
同一人物と多くの人は考えていると思いますが、
「彦瀲」だけで特定が出来るのでしょうか?

「彦瀲」で通じるのに、なぜ、文字数が多いのでしょうか?

彦瀲第四子號神武天皇、自筑紫宮入居大和州橿原宮、即位元年甲寅當周僖王時也。
次綏靖天皇、次安寧天皇、次懿德天皇、次孝昭天皇、次孝天皇、次孝靈天皇、
次孝元天皇、次開化天皇、次崇神天皇、次垂仁天皇、次景行天皇、次成務天皇、
次仲哀天皇、國人言今爲鎮國香椎大神。次神功天皇、開化天皇之曽孫女、
又謂之息長足姫天皇、國人言今爲太奈良良姫大神。次應神天皇、
甲辰歳始於百濟得中國文字、今號八蕃菩薩、有大臣號紀武内年三百七歳。
次仁德天皇、次履中天皇、次反正天皇、次允恭天皇、次安康天皇、次雄略天皇、
次清寧天皇、次顯宗天皇、次仁賢天皇、次武烈天皇、次繼體天皇、次安開天皇、
次宣化天皇、次天國排開廣庭天皇、亦名欽明天皇。即位十一年壬申歳、
始傳佛法於百濟國、當此土梁承聖元年。次敏達天皇、次用明天皇、
有子 曰聖德太子。年三歳聞十人語同時解之、七歳悟佛法、于菩提寺講聖鬘經、
天雨曼陀羅華、當此土隋開皇中、遣使泛海至中國求法華經。次崇峻天皇、
次推古天皇、欽明天皇之女也。次舒明天皇、次皇極天皇、次孝德天皇、白雉四年、
律師道照、求法至中國、從三藏僧玄奘受經律論、當此土唐永徽四年也。
次天豊財重日足姫天皇、令僧智通等入唐求、大乗法相敎、當顯慶三年。次天智天皇、
次天武天皇、次持緫天皇、次文武天皇、大寶三年、當長安元年遣粟田真人
入唐求書籍、律師道慈求經。次阿閉天皇、次皈依天皇、次聖武天皇、寶龜二年、
遣僧正玄昉入朝、當開元四年。次孝明天皇、聖武天皇之女也。天平勝寶四年、
當天寶中、遣使及僧入唐求内外經敎及傳戒。次天炊天皇、次髙野姫天皇、
聖武天皇之女也。次白壁天皇、二十四年、遣二僧靈仙行賀入唐禮五臺 山學佛法。
次桓武天皇、遣騰元葛野與空海大師、及延歴寺僧澄入唐詣天台山傳智者止觀義、
當元和元年也。次諾樂天皇、次嵯峨天皇、次淳和天皇、次仁明天皇、
當開成會昌中遣僧入唐禮五臺。次文德天皇、當大中年間。次清和天皇、次陽成天皇、
次光孝天皇、遣僧宗 𥈠入唐傳敎、當光啓元年也。次仁和天皇、
當此土梁龍德中遣僧寛建等入朝、次醍醐天皇、次天慶天皇、次封上天皇、
當土周廣順年也。次冷泉天皇、今爲太上天皇、次守平天皇即今王也。凡 六十四世。

宋史

これは、列島人が遣使の際に、教えたのかと最初思いましたが、
やはり、記紀と比較すると、不自然な箇所があります。

1

孝安の箇所が「孝天皇」と表記されています。

2

神功皇后が「神功天皇」と
「開化天皇之曽孫女、又謂之息長足姫天皇」の表記があります。

「天皇」表記は良いとして、
「開化天皇之曽孫女」と「息長足姫」には不自然に感じます。

「開化天皇之曽孫女」とは、「開化天皇ー◯ー◯ー息長足姫天皇」と
置き換えられますが、神宮皇后の家系図と比較すると異なっています。

上記の系図は上が宋史の記事の系図化で、
下はWikiにある一般的な息長帯姫大神までの系図です。

比較すると一目瞭然で、宋史にある記事の方が、「2代早い」となります。

この、検証は今後の開化天皇の解釈で行います。

次に、「息長帯姫大神」と古事記表記しましたが、
「息長足姫天皇」も古事記表記と思われます。

しかし、2では、「尊」を使う日本書紀表記を採用、なおかつ、
この記事の最初に「彦瀲」と日本書紀に近い表記を使用しています。

ところが、なぜか、日本書紀の「気長足姫尊」を使わず、
「息長足姫天皇」と表記するのは不自然さを感じます。

名が似ていても、系統が異なっている可能性もありそうです。

3

安閑は箇所は「安開天皇」と表記されます。

4

欽明の表記が変わっています。

「天國排開廣庭天皇、亦名欽明天皇」とありますが、普通は逆ではないだろうか?

5

斉明の箇所には「天豊財重日足姫天皇」とあるだけで、
「斉明天皇」という表記がありません。

列島側から話したのならば、天皇名が個人名より先にくると思います。

6

持統の箇所には「持緫天皇」とあり、
「持統天皇」の間違いだとするサイトもありますが、本当に間違いなのでしょうか?

天皇としての在世期間が分からないので、判断出来ません。

7

元明の箇所は「阿閉天皇」と表記されます。

8

元正の箇所は「皈依天皇」と表記されます。

9

孝謙の箇所は「孝明天皇、聖武天皇之女也」と表記されます。

10

淳仁の箇所は「天炊天皇」と表記されます。

11

称徳の箇所は「髙野姫天皇、聖武天皇之女也」と表記されるが、
孝謙と同一人物かは不明。

12

光仁の箇所は「白壁天皇」と表記されます。

13

宇多の箇所は「仁和天皇」と表記されます。

14

朱雀の箇所は「天慶天皇」と表記されます。

15

村上の箇所は「封上天皇」と表記されます。

この様に、不自然な箇所を調べていくと、「15箇所」も存在していました。

今後、慎重に調べて検証するのですが、
今まで知っている歴史とは違う可能性が覗えます。

参照7:古代史獺祭 宋史 卷四九一 外國伝 日本國

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