最終更新日 2021/12/31

※Social Postage Stamps

コラム へようこそ Welcome to Column


日本國とは

解釈

02

旧唐書日本國伝

旧唐書日本國伝の冒頭を見て行きます。

原文:

日本國者倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。
或曰倭國自惡其名不雅改為日本。或云日本舊小國併倭國之地。

解読:

日本國者(は:短語)倭國の別種也

其の國を以って、日の邊(ほと)りに在る故を以って、日本の名、為る。

或いは、倭國、自ら其の名不雅(正しくないため)惡み、
日本と改めると為すと曰(い)う。

或いは、日本舊(ふる)くから小國だが、倭國之地を併せると云う。

※「或いは、倭國之地、舊(ふる)くから小國の日本を併せると云う。」
 とも、読む事が可能ですが、
 意味が正反対になってしまい、どれが正しいのかは分かりません。

旧唐書日本國伝

本文である「日本國者倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。」は、
日本の名の由来を紹介しています。

しかし、「日の邊(ほと)りに在る」から「日本」になったと言うのは、
説得力に欠けます。

なぜなら、そのまま表せば、「日邊」とはなりますが、「日本」にはなりませんし、
「日の本」と「日の邊(辺)り」では、意味が異なってしまいます。

もし、「日の時間が長いから」と言う理由なら納得出来ますが、
どうして、ちぐはぐな理由を唐は掲載したのでしょう?

後世の人が見れば、おかしいとすぐに分かるでしょう。

それと同じく不思議なのが、本文の後に「或曰」と「或云」とある事です。

調べると大辞林に下記のような説明があります。

(「あるいは…あるいは…」の形で)同じような事柄を列挙して、
さまざまな動作が行われたさまを表す。「-海山に遊んで休養をはかり、
-勉 学にいそしむ者もある」〔漢文訓読に由来する語法。
古く「あるひは」と書かれることもあったが、「あるいは」が本来の形〕

大辞林

これが正しいと考えると、本文と「或曰」と「或云」の3つには「日本」と言う
共通項によって、結び付けられたと考える事が出来そうです。

その場合、同じ「日本」を指していない可能性が出て来ます。

「日本」という漢字を使用した地域や國が複数存在していたのでしょうか?

読み

「日本」を「にっほん」や「ひのもと」と読むのは理解出来ますが、
日本書紀の「日本、此云耶麻騰」の注記には、疑問が出て来ます。

一つの仮説として、
「日本國(にっほん)」が古くから存在していたが、次第に他国に領土を侵され、
最終的に「日本國(やまと)」と読みを改める事になった可能性です。

注記も無ければ、後世に「日本=やまと」と答えられる人がいるとは思えませんので、
本文は、古くから存在した「日本國(にっほん)」に関しての記事だと考えられます。

問題は、仮説が正しいとすると、読みが変わったタイミングです。

「にっほん」は「呉音」で、「やまと」は「漢音」寄りです。

Wikiによると、

呉音は漢音導入以前に日本に定着していた発音」、「漢音は7、8世紀、
遣唐使や留学僧らによってもたらされた唐の首都長安の発音(秦音)

Wiki

となっていますが、基本的であって、それ以前から交易等で使われていたと思います。

なにより、列島は、世界の多くの地域から集まって来ている「音読みの集積地」なので、
エジプト訛りだったり、西欧訛りと言った「音」が存在していた可能性があります。

もしかすると、
海外の言葉で「やまと」を調べると、どの様な意味なのか分かるかも知れません。

あと、「やまと」は日本書紀で、「此れ下も效(なら)う。」と注記になっているので、
最低でも日本書紀が書かれた時代には、変更されていたと思います。

ただ、なぜ、現代において、
「やまと」ではなく「にほん」や「にっぽん」と読むのか不明です。

参照2:音読み

別種

「日本國者(は:短語)倭國の別種也。」とありますが、「別種」とは何でしょうか?

南朝鮮で活動していたのは、「倭國」、「倭奴國」と二つの國がありましたが、
「倭國の別種」と「倭國」を選択したのは、なぜなのか?

それと、「日本國者倭國之別種也」を「日本國者(は:短語)倭國の別種也。」と
解読しましたが、実はもう一つ「倭國者(は:短語)日本國之別種也」とも読めます。

現代の日本語は「左」から読みますが、白文形態の漢文である事の多い「記紀」や
「古代中国史書」は、パズルのように並べ替える事が出来ます。

本編のまとめの「紀元前1000年頃」で、関係を纏めてみましたので、
参考にして下さい。

Copyright © 水晶光矢 All Rights Reserved.